别子铜山
位于伊予东北部的铜矿
位于伊予东北部的铜矿。该矿被发现于1690(元禄3)年,由住友家开采于1691(元禄4)年,是
江户时代
铜产量最高的铜矿。
明治维新
后,由于引进西方先进技术,产量大增,住友家以此奠定了走向财阀的道路。1973(昭和48)年关闭。
别子铜山略年表
元禄
※1697年顷日本の产铜量が世界一となる うち别子铜山その4分の1(约1500トン)を占める
宝历
庆应
土佐藩
(明治新政府)により差し押さえられるも一时稼行许可を得る(1872年永续许可)
明治
近代化起业方针示达、牛车道建设着工、东延斜坑开凿着工
大正
昭和
参考资料
別子銅山について
.別子銅山記念館.
別子銅山 | 住友の歴史
.住友グループ広報委員会.
住友金属鉱山の歴史:1590年〜 銅製錬の始まり 別子銅山の稼業(江戸時代) | 企業情報
.住友金属鉱山株式会社.
最新修订时间:2024-10-08 19:17
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